裏庭からスピカ

基本は雑記、ときどき小説の話……をしたい。

勇者の孤独

Switch(未購入)でゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド(未購入)をやりてえなあ、とこのところ思っておりました。しかしそれを実行に移せば、己の懐具合と可処分時間に甚大な影響を及ぼすのは必至。

なので代替案として、すでに一度クリア済みである3DSゼルダの伝説 時のオカリナをやってみることにしたのです。ちょいと浸れば満足するだろ、と。

そんなわけで電源を入れると、しばらくしてタイトルが出てきます。ここですよ。

何年か前にプレイしていた時には気づかなかったのですが、音楽といい映像といい、エンタテインメント大作には似つかわしくないほどの静寂に満ちているのです。主人公であるリンクが愛馬エポナとともに夜明けのハイラル平原を駆ける、それだけ。

非常に抑制が効いた演出だと言わざるを得ない。

 

そういえば初代のドラゴンクエストにおいても、勇者の旅立ちで画面から流れてきたアレフガルドのテーマは、物悲しさすら感じさせるとても静かな曲でした。

彼と比較したならば、時のオカリナにおけるリンクには旅のお供である妖精ナビィが常に一緒です。けれども実際は旅を進めれば進めるほど、リンクの孤独は深まっていく。

七年間の時を超え、ハイラルを救うため少年と大人を行き来するリンクは、まず故郷であるコキリの森で自分が仲間たちとは違う存在だと突きつけられる。コキリ族は子供の姿のまま成長しないけど、彼は大人になってしまったわけですから。そして仲間たちには自分がかつてともに過ごしたリンクであることに気づいてもらえない。

世界を救ったら救ったで、そこまで積み重ねてきた旅がリセットされてしまう。旅の間に深く関わってきた人たちとの何もかもがなかったことに。のみならず、すぐ隣ですべてを一緒に見てくれていた妖精ナビィとも離ればなれになってしまうわけで。

固く結ばれたはずの絆はほどけて手からこぼれ落ち、ハイラルを救うため命がけで戦ってきたリンクには結局何も残らない。あるのは埋めようのない孤独感だけ。

 これは喪失の物語なのだ、と冒頭の画面を眺めながら強く思うのです。